先日、長女の高校時代の恩師が逝去されました。
演劇論、文学論、芸術論などを、時間を忘れて熱く語り、
課外活動にも熱心な講師の先生、高校に入学したばかりの娘達を
まるで大学生扱い。先生ではなく「さん付け」で呼ばせて、
映画だ!演劇だ!と子供を連れだす型破りな先生。
母親の私から見たら、とんでもない!!
背伸びをしたい年頃の娘が、先生に感化されて、
言うこともやることも、超特急で大人びていくんだもの!
心配でたまらない。
この先生と娘は、当時の私の頭痛の種のひとつでした。
娘達は、高校を卒業してからも、時折仲間達と先生のおうちに
伺ったり、集まったりしていたようです。
先生は、私たちの主催するゴスペルライブに来てくださったことも
あるのに、直接ご挨拶する機会がなく、大変申し訳ないけど、
私の中では、長年「要注意人物」のままでした。
数日前、長女から、ご逝去の報を聞き、改めて先生の略歴などを
知りました。
真夜中のラジオの深夜便で長年、映画解説をしていらした映画評論家!?
・・・・1990年代、4人の子育てと教会と仕事に追われて、
自分の時間などなかった私は、家族が寝静まった深夜もまだ
仕事をしていました。
気分転換にラジオをつけると、明るい声で、ワクワクするような
映画のお話が流れてきて、聞いているうちに、煮詰まった頭が、
ほぐれて、血が通った~って感じに。癒されました!
あの優れた洞察力、面白いお話→それがあの先生!?
まさか全然知らないところで、私自身が先生に助けられていたとは!
私は、思春期の娘を必死で守ろうとしたとはいえ、先生ご本人に、
向き合うこともせず、理解しようともせず、礼も尽くさず、
先生を色眼鏡で見ていました。
自分の了見の狭さ、傲慢さに愕然。もう、恥じ入るばかり。
残念なことに、もう先生には会えないから、娘に謝りました。
娘は、いつの間にか 私よりよっぽど大人(笑)
先生の強さ、弱さ、純粋さ、優しさ、危うさなど、
よくわかってる。お互いよき理解者だったんでしょう。
取り寄せてみた先生の著書によると、先生と私はだいたい同世代で、
(私のほうが少しお姉さん)、行動半径が同じ!?
きっと、若かりし頃、渋谷の名画座で、同じ映画を見ていたに
違いない。
『あれは三本立てだったよね!』なんて話したら
きっと盛り上がったことでしょう。
YCCで、ゴスペルを始めたのはちょうど娘が高校生の頃
チラシに、構成に、照明に・・裏方は任せとけ!って頑張ってくれた
娘は、先生から吸収したものをそこで発揮していたのかも。
そんなあれこれは、きっと神様の采配
点だと思ってたものが、線でつながってる!
Amazing!
人生って、面白い!人との繋がりも面白いね!
出会って影響したり、されたり。
ずっと並走かと思いきや急な別れ道、切れたと思ったものが
地下でずっと繋がってて突然顔を出してみたり・・・
交差して、橋ができて、その橋が突然崩れたりもする
冥王星みたいにぶつかるほど近づいて、後ろも見ずに消えていく
自分の人生だからといって、自分の思うようにはいかない。
だからこそ、善なる神の采配を喜んで感謝して生きていきたいな。
なんだか徒然なるままに書いてしまいました。
先生が亡くなって、はじめてその存在の重さに気づかされました。
先生の魂の安息と、大切な人を見送った人々に、神様の慰めを祈ります!

演劇論、文学論、芸術論などを、時間を忘れて熱く語り、
課外活動にも熱心な講師の先生、高校に入学したばかりの娘達を
まるで大学生扱い。先生ではなく「さん付け」で呼ばせて、
映画だ!演劇だ!と子供を連れだす型破りな先生。
母親の私から見たら、とんでもない!!
背伸びをしたい年頃の娘が、先生に感化されて、
言うこともやることも、超特急で大人びていくんだもの!
心配でたまらない。
この先生と娘は、当時の私の頭痛の種のひとつでした。
娘達は、高校を卒業してからも、時折仲間達と先生のおうちに
伺ったり、集まったりしていたようです。
先生は、私たちの主催するゴスペルライブに来てくださったことも
あるのに、直接ご挨拶する機会がなく、大変申し訳ないけど、
私の中では、長年「要注意人物」のままでした。
数日前、長女から、ご逝去の報を聞き、改めて先生の略歴などを
知りました。
真夜中のラジオの深夜便で長年、映画解説をしていらした映画評論家!?
・・・・1990年代、4人の子育てと教会と仕事に追われて、
自分の時間などなかった私は、家族が寝静まった深夜もまだ
仕事をしていました。
気分転換にラジオをつけると、明るい声で、ワクワクするような
映画のお話が流れてきて、聞いているうちに、煮詰まった頭が、
ほぐれて、血が通った~って感じに。癒されました!
あの優れた洞察力、面白いお話→それがあの先生!?
まさか全然知らないところで、私自身が先生に助けられていたとは!
私は、思春期の娘を必死で守ろうとしたとはいえ、先生ご本人に、
向き合うこともせず、理解しようともせず、礼も尽くさず、
先生を色眼鏡で見ていました。
自分の了見の狭さ、傲慢さに愕然。もう、恥じ入るばかり。
残念なことに、もう先生には会えないから、娘に謝りました。
娘は、いつの間にか 私よりよっぽど大人(笑)
先生の強さ、弱さ、純粋さ、優しさ、危うさなど、
よくわかってる。お互いよき理解者だったんでしょう。
取り寄せてみた先生の著書によると、先生と私はだいたい同世代で、
(私のほうが少しお姉さん)、行動半径が同じ!?
きっと、若かりし頃、渋谷の名画座で、同じ映画を見ていたに
違いない。
『あれは三本立てだったよね!』なんて話したら
きっと盛り上がったことでしょう。
YCCで、ゴスペルを始めたのはちょうど娘が高校生の頃
チラシに、構成に、照明に・・裏方は任せとけ!って頑張ってくれた
娘は、先生から吸収したものをそこで発揮していたのかも。
そんなあれこれは、きっと神様の采配
点だと思ってたものが、線でつながってる!
Amazing!
人生って、面白い!人との繋がりも面白いね!
出会って影響したり、されたり。
ずっと並走かと思いきや急な別れ道、切れたと思ったものが
地下でずっと繋がってて突然顔を出してみたり・・・
交差して、橋ができて、その橋が突然崩れたりもする
冥王星みたいにぶつかるほど近づいて、後ろも見ずに消えていく
自分の人生だからといって、自分の思うようにはいかない。
だからこそ、善なる神の采配を喜んで感謝して生きていきたいな。
なんだか徒然なるままに書いてしまいました。
先生が亡くなって、はじめてその存在の重さに気づかされました。
先生の魂の安息と、大切な人を見送った人々に、神様の慰めを祈ります!

2021.08.09 / Top↑
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