横浜のゴスペルクワイア YCCゴスペルラヴァーズmamaの日記♪

きょうは日曜日♪ 
きょう読んだ聖書の箇所は、ヨハネの福音書 
とても有名な箇所です。

ヨハネ15;1~5
『わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、
刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、
もうきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、
あなたがたは何もすることができないからです。

ヨハネ 15: 9~12
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。
わたしの愛の中にとどまりなさい。
もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの
愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、
わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びが
あなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、
これがわたしの戒めです。』

高校1年生の夏、このヨハネの福音書の言葉に出会い
「わたしもこの愛の中にとどまっていたい」と思いました。

『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、
 これがわたしの戒めです。』
若い時は、
 『わたしがあなたがたを愛したように あなたがたも互いに愛し合うこと』
 というのを、わりと簡単なことのように思っていましたが、
 『私があなたがたを愛したように・・・』というJesusの愛が、
 どれほどの痛みを伴い、どれほどの覚悟でどれほど深く、どれほど尊いか・・・
 そして、私達がそのように互いに愛し合うことが、どれほど難しい
 いや、とてもできるものではないという事を、年を経るほどに実感しています。

 私達が「愛」と思っているものが、いかに自分勝手で、自己都合か・・
だからこそ、Jesusの愛につながっていたい、
愛の中で、日々新しいいのちの循環を感じていたいと切に思います。


2010.07.11 / Top↑
Secret